翌日、長崎の原爆資料館を見てきた。
過去に広島の資料館も見学をしたことが有るが、今回は何か違うイメージを受けた。
誤解を恐れずに言うと、正直、倒壊や火災などの物理的被害に関して、神戸の震災を間近に見た私には、さほど悲惨だとは感じない。むしろ半径2・3kmの範囲の倒壊で済んでよかったのではないかと思う程である。やはり震災もそれだけ悲惨な天災だったのだろうか?
原爆は天災ではなく人災の類だと思うが、人間生きてる限り争い事は絶えないと思う。平和に越したことは無いが、その難しさを考えると安易に口に出すことは私には出来ない。
同じ、港町の神戸と比較すると、同じように歴史もあると思われる長崎の街には過去の建築物などが無く、昭和後期から発展したような雑多な街の印象を受ける。これも結局原爆による街の破壊の影響なんだろうなぁと思うと、少し寂しくなる。
同時に、広島は本州の人の通過点でも有り広い平野の一部であったのに対し、九州の一端の長崎と言う壊滅した街がこんなにも活気に満ちていることに驚きもした。人の生活力の逞しさに感激し、少し過去を放置して良いのかと落胆した。
悲惨さや爆撃に対する罪悪を追求する事はともかく、客観的に後生に伝えていける場所として残していかなくてはいけない場所だと思った。
その後、中華街に寄って帰る事にした。途中カステラ屋でカステラの切り端を購入、カステラ1・2本分に相当する切れ端が袋に詰められていて500円!見栄栄えはともかくやっぱり美味しいです。長崎ならでは?
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